桂川(保津川下り)
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桂川(保津川下り) |
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平安京の造営に併せて、暮らしに必要な木材などの物資が京都に流れ込むこととなった。この水の道に淀川や宇治川、そして名勝嵐山で知られる桂川がある。 丹波国から桂川を使って運ばれたのは、江戸時代までは木材。平安京を造営した桓武天皇は、桂川の上流にある丹波国山国荘(現在の京都市右京区京北町山国周辺)を禁裏御料地に指定し、山国荘の杉や檜、松などの用材を桂川に流し都まで運ばせた。その量は年間60万本から70万本との報告がある。この水運に着目したのが、京都の豪商の角倉了以である。了以は、慶長10(1605)年に徳川幕府から桂川の開削許可を得て、桂川中流域に当たる亀岡市保津から京都市嵐山までの16kmの区間を船が通れるように開削した。 この開削工事によって、木材だけでなく、米や塩、鉄、石材などの様々な物資を高瀬船で都まで運ぶことができるようになった。しかし、明治になると鉄道や道路が整備されるなかで水運の歴史は幕を閉じ、桂川の高瀬船は物流から観光へとその役割を変え、2005年には約30万人が「保津川下り」を楽しんでいる。 この保津川下りは、明治の文豪である夏目漱石も楽しんでおり、『虞美人草』にその様子を記している。当時は、ルーマニア皇太子をはじめ、英国皇太子などが保津川下りを楽しんでおり、世界からも注目されていた。 |
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(鈴木康久 カッパ研究会世話人・水文化研究家) |
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