宇治川「宇治橋」

宇治川「宇治橋」
宇治川「宇治橋」

日本で最古の橋のひとつとされる宇治橋。橋寺に残る「宇治橋断碑」は、大化2(646)年に奈良元興寺の僧侶道登が架橋したと伝えている。

古くから知られている宇治橋周辺の風景は、硯箱や手箱、貝合せなどの工芸デザインにも用いられており、桃山時代には「柳橋水車」が宇治を表現するデザインとなった。加えて、江戸時代には、宇治橋の三ノ間が広く知られることとなる。実際に見て描いていないのであろうか、橋の上下流に三ノ間を描かれている絵もある。

江戸時代後期、文久3(1863)年に発刊された『宇治川両岸一覧』によると、何艘かの柴舟が宇治橋の下を通っている。帆掛け舟も見られる。今は舟運を見ることはないが、昭和の初めまでは二十石の淀舟が、宇治橋西詰北側の宇治浜と興聖寺門前の興聖寺浜まで就航し、上りは屎尿や塩などを宇治まで運び、下りは竹、柴、炭などが運搬していた。この絵を見ると、江戸時代は宇治橋の高欄に擬宝珠が着いていないことがわかる。

宇治橋は江戸時代後期から何回か架け替えられてはいるが、高欄や橋脚などが景観に配慮されており、昔の風情を今に伝えてくれる。

(鈴木康久  カッパ研究会世話人・水文化研究家)